「キリスト」についてのまったく異なる解釈(星野之宣:妖女伝説「砂漠の女王」)
先日からユダヤ教、キリスト教を軸にした話題が続いていたのだけれど(昨夜は「ダヴィンチコード」を観てたから)、フト、昔みた星野之宣氏が書いた漫画にキリストについて別の解釈があったことを思い出した。タイトルも思い出せなかったのだけれど、調べてみて分かった。「妖女伝説」の中にある「砂漠の女王編」である。以下、ネタバレが含まれるので、これから読みたいと思う方はこのエントリーを読まない方が良いだろう。
星野之宣氏と言えば、第9回 手塚賞に入選し、少年ジャンプで「ブルーシティー」が連載されたのが僕の最初の印象だ。今までにない、夢のような世界を描いたSFストーリーに度肝を抜かれたのを覚えている。ただ、その後に物語は途中で打ち切りになったとされているが、僕は覚えていない。なにせ中学生の頃である。特にその後に、年月を重ねるごとに作画が変わりつつも、様々なSF伝奇作品や歴史作品を世に出している。僕が読んでいたのは「2001夜物語」までだが、その後にも「宗像教授異考録」や最近ではジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」の漫画化もしているようだ。これらはまだ未読。
さて、話しを戻すと、キリストの解釈である。「砂漠の女王編」は現在は一部分をカラー化され2冊のコミックに「完全版」としてまとめられた短編集である。「砂漠の女王編」はその2巻に、クレオパトラを軸とした物語として掲載されている。
この中ではクレオパトラが禁呪を使い、歴史上に登場するヘロディアの娘サロメ、そしてパルミア王国の闘う女王ゼノビアへと転生していく。この部分だけでもSF伝奇ものとしてはなかなかの構成であると思う。3人の史実なり、伝承されている部分を生かした物語の構成は素晴らしい。
だが、僕の頭にこの歳まで残り続けたのは、サロメに転生した時に登場した「イエス・キリスト」の教えの解釈だ。この物語では救世主は2人で1人。それはヨハネとイエスを表している。光と闇、天使と悪魔。果たしてイエスはどちらなのか?それが徐々に明かになるにつれ、この物語のイエスの位置付けとその教えを歪ませないまま「闇」とした手腕と、その結末に恐怖すら感じたのだ。それが今でも記憶に残っている理由である。
宗教は人を救い、世界を救う。だが同時に人を狂わせ、破滅させることもある。その中でイエスをこのように解釈した作品は少ないだろう。同時に、登場人物の歴史上の伝承についても調べてみると良い。というか、調べてみたくなる。星野之宣氏の作品が、如何に緻密に練られたものかが良く分かるだろう。
で、再びこの作品を読んでみて、まだ未読であるいくつかの作品も読んでみたいと思うようになった。あまり一度に買うと家庭の経済状況に響くので(^_^;)余裕があった時にでも読んでみようと思う。